Story &ものがたり& die Geschichte
一人称単数 by 村上春樹 본문
" もはや初期の短編作品を初めて読んだときのようなハッと驚く輝きのようなものは感じられないものの、今回の短編集からは、初期の短編「中国行きのスロウボート」の雰囲気を思い出しました。 本書に収められた短編は村上春樹の言葉を引用すると「僕の些細な人生の中で起こった、一対のささやかな出来事」だ。「しかし、それらの記憶はあるとき、おそらくは遠く長い通路を抜けて、僕のもとを訪れる。そして僕の心を不思議なほどの強さで揺さぶることになる。」
そしてそれらは「ぼくらの人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。説明もつかないし筋も通らない、しかし心だけは深くかき乱されるような出来事」であるという。 そういう意味において、個人的には「ウィズ・ザ・ビートルズ」と「謝肉祭」が好みです。「ウィズ・ザ・ビートルズ」には、村上春樹ならではの比喩が登場します。 二つほど引用します。「あるときには記憶は僕にとっての最も貴重な感情的資産のひとつとなり、生きていくためのよすがともなった。コートの大ぶりなポケットの中に、そっと眠りこませている温かい子猫のように」「顔を合わせるたびに彼女は、いつも奇妙に感情を欠いた目で~冷蔵庫の奥に長い間放置されていた魚の干物がまだ食べられるかどうかを精査するような目で~僕を見た」 一方「ヤクルトスワローズ詩集」などは小説というよりエッセイ風~風の歌を聞けのあとがき的~にしあげたものですが、ユーモアがありなかなか楽しめます。 黒ビールを売る売り子が、たぶんこれまで普通のラガービールを求められお客さんをがっかりさせた経験が何度があったのであろう、「すみません。これ黒ビールなんですが」と謝る場面がある。村上春樹自身、小説を書いていて黒ビールの売り子と同じような気持ちを味わうことがあり、世界中の人々に謝りたくなるという「すみません。これ黒ビールなんですが」と。 でも我々はやはり、その「黒ビール」を村上春樹に期待しているのですね.... " "最後に納められている短編「一人称単数」について。一人称単数の主人公は、バーであった見知らぬ女性から「あなたは、私の友人に過去にひどいおぞましい仕打ちをした」、となじられてしまう。主人公にはそのような記憶はないのだが、反論せず、そのバーから逃げ出してしまう。そんなひどいことをしたなんて記憶にない。記憶にはないのに、主人公はその内容を知ることを恐れている。実は本当は何かやってしまったんじゃないのか。それを思い出してしまうんじゃないのか。この短編の最後は、「「恥をしりなさい」とその女はいった。」だ。
目を背けたくなるようなおぞましい、ひどいことをしてしまった記憶は、忘れてはいけないのではないか、つらくても逃げてはいけないのはないか。やってしまったことを、受け止めてそのきつい記憶(言い換えると責任)を抱えていかなければならないのじゃないか。この小説はそういっているように思う。いままでの村上作にないイラスト風の表紙は、イラストに親しんでいる若い読者に読んでほしいというメッセージなのではないか。このイラストが本の発行日までオープンにされなかったのは、若い読者に書店で手にとってみて選んでほしいというメッセージなのかも、と勝手に推測している..."
오랜만에 출간된 작가의 책이라 큰 기대를 하면서 읽었다. 솔직히 이전의 작품들에 비해서 나의 기대를 만족시키지는 않았다. 그래도 읽을 만한 책인 건 확실하다. 몇 작품은 내용을 이해하는 데 어려움이 있을 수 있지만 전체적으로 회고적이고 수필적인 성격의 작품들이 많기 때문에 다른 그의 책들(문학작품)에 비해서 이해하는데 큰 어려움은 없을 거 같다. 개인적으로는 그의 장편소설을 읽을 수 있는 기회가 빨리 오기를 바란다.
"人生は勝つことより、負けることの方が数多いのだ。そして人生の本当の智恵は〝どのように相手に勝つか” よりはむしろ、”どのようにうまく負けるか” というところから育っていく。。。” ”幸福というのはあくまで相対的なものなのよ。。。” ”。。。見当たらなかったことの方がむしろ多かったかもしれない。そしてまた常に私自身がその選択を行ってきたわけでもない。向こうが私を選択することだって何度かあった。。。そして私は今ここにいる。ここにこうして、一人称単数の私として実在する。。。。” -- 본문에서
